人の思いの大部分は見えないのだと思う出来事があった。
某日、4人で車に乗って出かけた時のこと、当初、帰る途中に場所Aによることになっていた。しかし、途中の道が混む可能性があるため場所Aには寄らず帰りたい、ということで、まっすぐ帰る空気になった。
運転手以外の3人は、場所Aに行きたかったが、運転手がそう言うのであれば…と言う雰囲気になったのだが、思った後の行動が別れた。
私ともう1人は「ここで他の場所に寄りたいと言える雰囲気ではない。まっすぐ帰って、場所Aは似ているものが家の近くにもあるからそこに行こう」という発想になった。
残る1人は「AがダメならBはどうか」という提案をした。
ここで補足すると、AとBは場所が近く「途中の道が混むから避けたい場所」にあたる。具体例を挙げれば、カフェに寄らずに駅から家までまっすぐ帰ろうと決まった後に、じゃあ道中のパン屋行かない?と提案するようなものである。
私が言いたいのは、ここでどちらがいい対応をとったかと言うことではなく、それぞれ対応の背景にある考え方が違ったと言うことである。
私ともう1人は、運転手は渋滞を避けて帰りたい→道中道草はせずに帰らたいと思っている→ならばAにいけないのは残念だがまずは家に帰ろう、と言う発想になった。
他方、場所Bを提案した人は、運転手は渋滞を避けて帰りたい→けどAに行かないのは寂しいので代わりにBを提案してみる、と言う発想になったらしい(本人から聞いた)。
正直、Bに行く提案をした時、私ともう1人は「ここでそれを提案できる精神力が羨ましい」と思った。運転手に気を遣って(そうするべき相手ではあるが)黙るのではなく、とりあえず別の案を提案してみる、と言う発想が自分達に浮かばなかったからである。
ただ、Bを提案した人も、図太くてそれを提案したわけではなく、Aにいけなくなって残念がるみんなのための提案としてBを示したという。
まあ、今回はエピソードにオチはなく、ただ考え方が違ったんだなあと言う私の感想で終わる。個人的には、もしBを提案した人に話を聞かなければ、私は「あの人はいつでも主張ができてすごい」で終わってしまったなあと思った。ただ、話を聞いて、主張をしたと言うよりも、代替案を提案しようと考えていたということがわかり、発言や表面だけを見ていても、相手が何を考えてそうしたかと言う背景の部分は汲み取りきれないのだなあと感じた。まさに、氷河の見えている部分は一角で、大部分の海水に沈んでいるところは見えないと言うのはこう言うことだなと思った。