何して遊んだ?
日常生活の中で走ることがどれくらいあるだろうか。振り返ってみると、最近自分が全力で走ったときというのは、点滅しかけた信号と、乗車時刻ぎりぎりの電車が待つ駅に向かうときくらいしかなかった気がする。
さて、今週のお題は「何して遊んだ?」ということらしい。社会人になってから、遊びに行く=お出かけかご飯、となってしまった。そのため、少し時間をさかのぼって、過去に私が好きだった遊びについて書きたい。
小さい頃は、シンプルに走りまわる遊びが好きだった。そこそこ足も速く、さらにすばしっこさもそれなりにあったので、走ること自体が好きだった。逆に、球技や遊具を使った遊びが苦手で、ドッジボールはめちゃくちゃ嫌いだった。なぜわざわざ人にめがけてボールを投げるのか、私はよける専門だったので、ボールを投げる楽しさを味わわなかったのはもちろん、ボールから逃げ続けてひやひやする嫌な思いしか記憶にない(ただ、逃げるのはうまかった)。サッカーも苦手だった。ボールがないほうが早く走れるのに、ボール邪魔だなあと思っていた。
しかし、小学校高学年ごろ、男女で体力の差が生まれてくると、そういった走り回る遊びをする機会が少なくなっていった。男女で足の速さが違うので、簡単に女子が捕まってしまうから、ということが要因だったような気がしている。それから、走ること=トレーニングの意味合いが強くなり、走る機会は増えても、遊びとして楽しむ機会は減ったことも一因だと思う。私は走り込みが嫌いではなかったが、周りの女子には走り込みを嫌う人も多くいた。たとえ女子しかいなくても、そんな雰囲気の中で走ることがメインの遊び南下提案できないし、友人が楽しめないのであれば、私も走ったところで楽しくないのである。
そう思うと、純粋に走ることは遊びのひとつであり、楽しいことだと思えていたあの時間は貴重だったのではと思えてくる。いま周りを見ても、走ることを純粋に遊びと捉えている人はいない。走ることを楽しいと思っている人は多いが、それは遊びではなく健康のためだったり、ランニングを楽しんでいるのであり、遊びではないような気がするのである。それに、そんな認識の問題以上に、いまでは自分の体が重くなってるので、かつてのように走れない。思いっきり走ったら、次の日筋肉痛で寝込むこと必至である。
時すでに遅し、という言葉をこんなテーマで使うとは思わなんだ。